ウィリアム・ジェームズ・モリアーティという人物を語る上で、避けて通れないのがその特異な出自です。彼が生まれながらの貴族ではないという事実は、物語の根底を揺るがす最大の仕掛けとなっています。
かつてロンドンの貧民街(スラム)で暮らしていた彼は、戸籍すら持たない名もなき孤児でした。並外れた頭脳と膨大な知識を生まれ持ち、過酷な境遇にあえぐ貧民たちに生活の知恵や法をかいくぐる手段を授けていた少年。そんな彼と病弱な実弟(現ルイス)の才覚に目を留めたのが、モリアーティ伯爵家の長男であるアルバート・ジェームズ・モリアーティでした。
特権階級の横暴と階級制度の理不尽さに激しい絶望を抱いていたアルバートは、少年の中に「階級社会を根底から破壊しうる革命の光」を見出します。アルバートの手引きによって兄弟はモリアーティ伯爵家の養子として迎え入れられました。しかし、血統主義に凝り固まった伯爵夫妻と、差別意識に塗れた実の次男「本物のウィリアム」は、貧民出身の義弟たちを徹底的に虐待します。
そこで実行されたのが、モリアーティ邸の放火粛清劇でした。少年はアルバートと結託し、実の家族である両親と次男ウィリアムを屋敷ごと炎に包み込みます。この瞬間から、名もなき孤児の少年は「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ」の名を襲名し、腐敗貴族を裁く闇の執行者・犯罪卿への第一歩を踏み出したのです。
なお、彼の「本来の本名」は作中で明確には明かされていません。「最後の事件」のクライマックスにおいて、シャーロック・ホームズにのみ耳元で囁かれたその真名は、彼が過去を捨て去り、虚構のモリアーティとして生き抜いた証として読者の想像に委ねられています。