ちさ子さんの破天荒なエネルギーと類いまれなプロデュース能力は、間違いなく父・高嶋弘之さんから受け継がれたものです。弘之さんは1960年代、東芝音楽工業(後の東芝EMI)の洋楽ディレクターとして活躍し、当時まだ日本で無名に近かったザ・ビートルズの日本デビューを手掛けた伝説の仕掛け人として知られています。
「プリーズ・プリーズ・ミー」や「抱きしめたい」といった印象的な邦題を考案し、奇抜かつ綿密な宣伝戦略を仕掛けて日本中にビートルズ旋風を巻き起こしました。その後も多くの著名アーティストを発掘・育成し、日本のポピュラー音楽界に計り知れない足跡を残しています。
家庭内での弘之さんは、ちさ子さん以上のマシンガントークと強烈なユーモアの持ち主。ちさ子さん自身も「父の話術と行動力には到底かなわない」とメディアでたびたび公言しており、音楽ビジネスの最前線で培われた父の勝負勘が、現在のヴァイオリニスト兼プロデューサーとしてのちさ子さんの背骨を形成しています。