愛知県知立市八橋町に位置する八橋無量寿寺の起源は、寺伝によると慶雲元年(704年)に慶法坊が創建したことに始まると伝えられています。その後、平安時代初期に在原業平がこの地を訪れたことで、文学史上に残る決定的な転換点を迎えました。
古典の名作『伊勢物語』の第9段「東下り」において、業平は八橋の地で美しく咲く杜若を目にし、その花の名を各句の頭に置く「折句(おりく)」の手法を用いて次の名歌を詠み上げました。
「からころも / きつつなれにし / つましあれば / はるばるきぬる / たびをしぞおもふ」
都に残してきた妻を想い涙を流したこの情景は、八橋の地を雅やかな文学の聖地へと昇華させました。寺院自体は中世の戦火等で荒廃した時期もありましたが、文化元年(1804年)に三河国出身の江戸の商人・神谷仁右衛門や方巌売茶翁らの尽力によって再興され、京都・妙心寺派の寺院として現在の礎が築かれました。境内には業平の遺徳を偲ぶ「業平塚」や数多くの歌碑・句碑が点在しており、重厚な無量寿寺の歴史と由来を今に伝えています。