ポピュラー音楽ファンの間で長年激論が交わされてきたのが、「『俺ら東京さ行ぐだ』は本当に日本最初のラップなのか」という論点です。スネークマンショーの『咲坂と完内のごきげんいかがワン・ツゥ・スリー』(1981年)や、佐野元春氏の『コンプリケイション・シェイクダウン』(1984年4月)など、先行するラップ的アプローチはいくつか存在しました。しかし、商業的な大ヒット(オリコン週間4位、年間セールス約35万枚)を記録し、日本全国津々浦々まで「ビートに乗せて韻を踏みながら語る手法」を知らしめた決定打は、間違いなく本作です。
音楽理論の観点から本作を分析すると、単なる宴会芸ソングの枠に収まらない先駆的な構造が随所に見受けられます。バックトラックには当時最先端だったRoland TR-808を彷彿とさせる乾いたエレクトロ・ドラムビートが敷かれ、ベースラインはファンクそのもの。そこに津軽弁の跳ねるイントネーションが乗ることで、奇跡的なグルーヴが生み出されています。
歴代カバー曲の広がりを見ても、その影響力はジャンルの壁を越えています。ロックバンドの筋肉少女帯をはじめ、パンク、レゲエ、クラブDJに至るまで、数多くのミュージシャンが本作を公式カバー・サンプリングしてきました。ラップを「輸入された洋楽の模倣」で終わらせず、独自の土着言語で完全に自家薬籠中の物とした点において、日本のラップ史における原点と称されるのは極めて妥当な評価です。