ネットの睡眠実験が創作である一方、旧ソ連の極秘実験の歴史を紐解くと、フィクションを凌駕する冷酷な国家プロジェクトが数多く実行されていたことが、ソ連崩壊後の機密解除文書や関係者の告白手記によって明らかになっています。これらこそが、背筋の凍るロシア人体実験の実話です。
毒物研究所「ラボラトリーX」における生体毒性試験
ソビエト毒物研究所の実験は、秘密警察NKVD(のちのKGB)の管轄下にあった「ラボラトリー12(通称ラボラトリーX、またはカメーラ)」で実行されました。所長を務めた生化学者グリゴリー・マイラノフスキーは、検死で痕跡を残さない完全な暗殺用毒物を求めて、強制収容所から連行された政治犯やスパイ容疑者を生体実験のモルモットとして利用しました。
投与されたのはマスタードガス、ジギトキシン、コルヒチン、タリウム、そして独自開発された「カルバミルコリン塩化物(C-2)」などです。被験者には「治療薬」や「ビタミン剤」、あるいは通常の食事と偽って毒物が与えられ、体調の変化、苦悶の過程、死亡に至るまでの分単位の経過が冷徹に観察・記録されました。マイラノフスキー自身が1950年代の失脚後に残した自供調書において、「被験者の生命を奪う過程を直接観察した」と明確に認めています。
核爆発直下の突入演習「トーツコエ演習」の悲劇
冷戦期の生体実験の事実として忘れてはならないのが、1954年にオレンブルク州トーツコエで行われた大規模軍事演習「雪玉作戦(Operation Snezhok)」です。ゲオルギー・ジューコフ元帥の指揮のもと、40キロトン級の原子爆弾(広島型原爆の約2.5倍の威力)が地上約350メートルで炸裂させられました。
爆心地の煙が立ち込めるなか、ソ連の人体実験の被害者となった約4万5,000人の将兵が、防護服も不完全なまま汚染地域への突入を命じられました。目的は「核戦争下における部隊の戦闘能力維持と放射線影響の実地確認」でした。演習後、参加者には厳しい守秘義務が課され、のちに多くの元兵士が白血病や癌を発症して命を落とす結果となりました。