黒い霧がもたらした最大の悲劇として語り継がれるのが、西鉄のエース・池永正明の追放劇だ。高卒1年目から20勝を挙げ、通算100勝を歴代最年少で達成した天才右腕。将来の名球会入り、そして球史に燦然と輝く大記録の樹立は確実視されていた。
しかし、池永の野球人生は23歳の若さで突如として断ち切られた。先輩選手から手渡された現金100万円を「八百長の依頼金」と知らずに預かり、一度も使用しないままロッカーに保管していた事実が発覚。池永自身は八百長への加担を頑なに拒否し、登板した試合でも全力投球を続けていたが、NPBは「現金を保管し報告を怠った」ことを重く見て、最も重い永久追放処分(無期失格処分)を下した。
情状酌量の余地を一切排除した厳罰に対し、球界内外から処分の見直しを求める声が上がり続けた。だが、固く閉ざされたNPBの扉が開くことはなく、池永が処分解除によってようやく名誉を回復したのは2005年、事件から実に35年もの歳月が流れた後のことだった。失われた全盛期の登板機会、奪われたプロ野球選手としての未来。池永の背負った十字架の重さは、組織防衛の残酷さを物語る象徴として今も胸を打つ。