1960年代末に発表された『成熟と喪失』は、文壇に地殻変動をもたらした。安岡章太郎や吉行淳之介ら「第三の新人」の文学を手がかりに、母性社会としての日本の精神風土と、父性の不在による「成熟の不可能性」を極めて明晰に解き明かしてみせた。
この深い思索は、同時代を怒涛の勢いで駆け抜けた作家・三島由紀夫の美学的思想とも深く共鳴し、同時に鮮烈な対立軸を描き出した。三島が完璧な美と肉体の破壊をもって「劇的な成熟」を完結させようと試みたのに対し、江藤は日常の泥沼の中でいかにして精神の自立を維持し得るかを問い続けた。二人の巨星による見えない対話は、近代化の果てに日本人が失った「母」の幻影と、決して確立されなかった「個の独立」という重い課題を、今なお現代人に突きつけている。