一方、母の由美さんは、競技者・羽生結弦を最も至近距離で守り続けた最大の功労者です。ジュニア時代、フィギュアスケートの衣装は1着あたり数十万円かかることも珍しくありませんでしたが、家計の負担を少しでも減らすため、母親自ら型紙を起こし、深夜までスワロフスキーのビーズやスパンコールを手作業で縫い付けたエピソードは広く知られています。
2012年春、羽生選手がさらなる高みを目指してブライアン・オーサー氏に師事した際、母親は単身でトロントへの同伴を決断しました。言葉も通じない異国の地で、喘息という持病を抱える息子のために、日本の出汁や調味料を取り寄せて毎食手作りの和食を振る舞い、過酷なトレーニングを支えました。当時の現地関係者によると、母・由美さんはリンクサイドで指導方針に意見することは一切なく、コーチ陣への挨拶と息子の体調管理だけに専心していたと証言されています。
どれほど息子が世界的な名声を得ても、メディアのインタビュー取材を丁重に断り続け、テレビカメラが回るとサッと視界から外れる徹底した「黒子」の美学。このぶれない謙虚さが、羽生選手を過度なプレッシャーや周囲の雑音から守る強固な防波堤となっていました。