紫艶さんの急逝を語る上で、避けて通ることができないのが紫艶桂文枝との関係です。二人の出会いは1990年代後半、彼女がまだ10代後半の駆け出し歌手だった時代に遡ります。当時、関西演芸界の頂点に君臨していた桂文枝(当時・桂三枝)氏は、彼女の才能を高く評価し、芸名である「紫艶」の名付け親にもなりました。
しかし、その関係は単なる師弟関係やプロデュースの枠を大きく超え、20年におよぶ愛人関係へと発展していました。この事実が白日の下に晒されたのが、2016年2月の『FRIDAY』による不倫スクープです。紫艶さん本人が誌面に登場し、文枝氏とのツーショット写真やLINEのやり取り、長年囲われていた事実を実名で告白したのです。
会見を開いた文枝氏は「20年前に交際していた事実はあるが、ここ10年ほどは会っていない」「芸の肥やしという言葉では済まされない」と涙ながらに釈明しつつ、現在の愛人関係については否定。この対応に対し、紫艶さんはさらに憤りを募らせ、反論を繰り返す泥沼の様相を呈しました。
この告白劇が彼女にもたらした代償は、想像を絶するものでした。大物芸人に弓を引いたタレントとして、在京・在阪のテレビ局やイベント興行主は彼女の起用を完全に敬遠。生活の糧だけでなく、歌手としてのプライドや自己肯定感を一瞬にして奪い去られることになったのです。当時のワイドショーの報道を見つめる彼女の表情には、怒り以上に「すべてを失ってしまった」という深い虚無感が滲んでいました。
紫艶さんの悲報を聞かされた際、桂文枝氏は報道陣の直撃取材に対してうつむいたまま押し黙り、絶句したと報じられています。20年という歳月を共有した女性のあまりに悲惨な結末に対し、残された者が背負った沈黙の重さは計り知れません。