現在でこそ一般人の立ち入りが厳しく禁じられている硫黄島ですが、かつては独自の文化と産業を持つ集落が栄えていました。硫黄島 歴史 旧島民 疎開の記録を紐解くと、明治期以降に本格的な開拓が始まり、硫黄の採掘やサトウキビ・コカ・レモングラスの栽培、漁業などを営む人々が生活基盤を築いていました。
大東亜戦争直前の小笠原村 硫黄島 人口推移の記録では、島内には6つの集落(元山、東、西、南、北、千鳥)があり、1,000名を超える一般住民(約190世帯、1,091人)が暮らしていました。小学校や郵便局も設置され、平穏な生活が営まれていたのです。
しかし、戦局が悪化した1944年(昭和19年)6月、大本営の発令により島民に対して本土への強制疎開が命じられました。残留を余儀なくされた軍属の男性らを除く女性、子供、高齢者は着の身着のままで島を離れることとなり、その後、激烈を極めた1945年2月の「硫黄島の戦い」によって島内の集落・田畑・インフラは跡形もなく壊滅しました。この強制疎開が、硫黄島における民間人定住の最後の瞬間となったのです。