ふたりの邂逅は、1983年の冬に遡る。当時、無名の新人だった庵野秀明が持参した大量の原画の束を見て、宮崎駿はその異様なまでの空間把握力と爆発の描写力に目を見張った。即座に採用された庵野に託されたのが、『風の谷のナウシカ』のクライマックス、崩れ落ちながらビームを放つ「巨神兵」のシークエンスである。
原画机の下で寝泊まりし、宮崎の容赦ないダメ出しに食らいついた若き庵野。宮崎の持つ底知れぬ狂気と情熱を骨の髄まで吸い上げた経験が、のちに彼を唯一無二の演出家へと押し上げる原動力となった。しかし、その関係は常に平穏だったわけではない。庵野は後年、「宮崎駿という巨大な呪縛」からいかにして逃れるかに苦心し続けたと語っている。
父であり、師であり、乗り越えるべき巨大な壁。宮崎もまた、独立して独自の道を歩む愛弟子を時に厳しく突き放し、時に誰よりもその才能を認めて注視し続けた。互いの作品を誰よりも鋭く解剖し、誰よりも深く理解しているからこそ生まれる緊張感が、ふたりの創作の底流には常に流れている。