地元で古くから「あさがお塚」という愛称で呼ばれていた理由は、墳丘の頂部付近で露出していた巨大な石槨の開口部が、まるで朝顔の花がラッパ状に開いたような形に見えていたことに由来します。
この石槨は、吉野川流域から運ばれたとされる推定重量約80トンもの巨大な凝灰岩(石英閃緑岩)を削り出して造られています。1つの巨大な岩塊の中央に間仕切り壁を残し、左右に並ぶ2つの玄室を職人技でくり抜くという、当時の最高水準の石工技術が集約されています。内壁は平滑に磨かれ、さらに漆喰が塗られていた痕跡も確認されており、まさに破格の権力と財力が投じられた国家プロジェクトであったことを物語っています。