この記念碑的傑作を手掛けたのは、長崎県南高来郡(現・南島原市)出身の彫刻家、北村西望です。文化勲章受章者であり、日本彫刻界の重鎮として知られる西望が長崎市から制作を依頼されたのは1951年のことでした。
当時すでに60代後半を迎えていた西望は、武蔵野市・井の頭自然文化園内に特設のアトリエを構え、約5年におよぶ歳月をかけて石膏原型を完成させました。制作過程における西望の情熱は凄まじく、神仏の枠組みを超えた「国籍や宗教を問わない人類共通の平和の象徴」を創り上げるため、昼夜を問わず鑿(のみ)を振るい続けました。
「神の愛と仏の慈悲をひとつにした巨大な像を造る」という信念のもと、西望は一切の妥協を排しました。現在でも井の頭自然文化園には当時のアトリエや試作段階の彫刻が保存・展示されており、巨匠が命を削って平和を希求した制作秘話の生々しさを今に伝えています。