インターネット上やファンの議論の中で、時折見受けられる誤解について事実関係を整理します。
まず代表的なものが「蒙武は史実において李信を見捨てた」という言説です。前述の通り、李信と蒙恬が楚で大敗した戦いにおいて、蒙武は別動隊あるいは後詰めであり、李信の敗戦は項燕の卓越した用兵と昌平君の背後での呼応による構造的敗退でした。蒙武が独断で友軍を見殺しにした記録は一切ありません。
もう一つの誤解は「蒙武は楚を平定した直後に戦死した」という説です。司馬遷の『史記』において、蒙武の死因や正確な没年は記されていません。古代中国の史書では、非業の死を遂げた武将や処刑された人物は克明に記録される傾向があります。記述がないということは、楚を滅ぼしたのち、大功を評価されて平穏に余生を過ごし、老衰や病気によって息を引き取ったと解釈するのが歴史学的に自然です。