一揆軍の精神的象徴として担ぎ上げられたのが、当時わずか16歳前後の少年、天草四郎(本名:益田時貞)です。「盲目の少女の目を治した」「海の上を歩いて渡った」といった数々の奇跡を起こす神童として民衆から救世主(メシア)のように崇められました。
しかし、歴史学および軍事史の視点から見ると、天草四郎単独で3万人規模の集団を統率し、幕府の正規軍を手玉に取る防衛戦を展開できたはずがありません。四郎の実父である益田好次をはじめ、小西行長や有馬晴信に仕えていた実戦経験豊富な浪人(元武士)たちが参謀本部を形成していました。
彼らは関ヶ原の戦いや大坂の陣を生き延びた軍事のエキスパートであり、鉄砲の運用法から陣地の構築、集団戦の指揮に至るまで卓越した知識を有していました。四郎の類まれな容姿とカリスマ性を「予言の子」として巧みにプロデュースし、絶望に瀕していた農民たちの士気を極限まで高めるシンボルとして機能させたのが、この動乱の組織的な実態です。