沖田総司の愛刀は菊一文字ではなかった?池田屋の加州清光と現在の行方

沖田総司の愛刀は菊一文字ではなかった?池田屋の加州清光と現在の行方

沖田総司の愛刀は菊一文字ではなかった?池田屋の加州清光と現在の行方とは一体何なのか? 背景や要点を整理してお届けします。

沖田総司の佩刀として真っ先に名前が挙がる「菊一文字則宗(きくいちもんじのりむね)」ですが、結論から言えば、これは史実ではなく後世に作られたフィクションです。この菊一文字則宗の創作理由を探ると、幕末の過酷な現実と、昭和の文学界が求めた劇的な演出意図が浮かび上がってきます。

そもそも則宗は、鎌倉時代初期に後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた備前福岡一文字派の開祖です。皇室の象徴である十六弁の菊紋を茎(なかご)に刻むことを許された刀は、当時から大名道具として珍重される国宝級の文化財でした。江戸幕府の御家人ですらない多摩の試衛館出身で、新選組のいち隊士に過ぎなかった若き沖田総司が、大名屋敷が買えるほどの天文学的な値がつく古刀を入手・佩用することは経済的・身分的にあり得ません。

では、なぜこの伝説が定着したのでしょうか。その決定的な契機となったのが、昭和を代表する歴史小説家・司馬遼太郎の名作『新選組血風録』および『燃えよ剣』です。

司馬氏は作中において、沖田の澄み切った無垢な性格と天才的な剣技、そして不治の病に侵される儚い運命を際立たせる舞台装置として、あえて優美で格調高い「菊一文字則宗」を配置しました。老刀屋から「人を斬る刀ではない」と諭されながらも、その気品に惹かれて佩刀とする描写は読者の心を強く揺さぶり、菊一文字と司馬遼太郎の真相として、事実上の「沖田総司像のスタンダード」として大衆の記憶に深く刻み込まれたのです。

また、これに先立つ子母澤寛の『新選組遺聞』などの聞き書きにおいても「菊一文字」の名が断片的に登場しますが、実戦で人を斬れば刃こぼれや折損が避けられない幕末において、美術品同然の則宗を実戦投入することは考えにくく、創作と脚色が重なって生まれた神話と言えます。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。