国立国際美術館を訪れた人がまず抱く最大の疑問は、「なぜ展示室のすべてが地下にあるのか」という点に尽きます。堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島は地下水位が非常に高く、建築土木の常識からすれば地下空間の大規模開発は浸水や水圧による浮力リスクが極めて高いエリアです。それでもあえて全館地下型が採用された背景には、都市計画上の制約と美術品保全における合理的な計算が存在します。
外観デザインを手掛けたのは、マレーシアのペトロナスツインタワーやあべのハルカスの外観デザインなどで知られる世界的巨匠シーザー・ペリ(Cesar Pelli)です。地上部に姿を現している翼のような構造物は、風にそよぐ竹の生命力と、現代美術の発展性を象徴しています。しかし、地上に巨大な建物のヴォリュームを配置してしまうと、中之島が育んできた水辺の景観や空への視界を圧迫しかねません。ペリは地上部分を公共性の高いオープンスペースとして街に開放し、主要な美術館機能をすべて地下へと潜らせる設計思想を打ち出しました。
さらに、地下構造はデリケートな現代美術作品の保護において驚くべき優位性を持ちます。外気の影響を直接受けない地下空間は、年間を通じて温度22℃前後・湿度50%前後を安定して保ちやすく、紫外線を遮断できるため作品劣化の主因となる外光ストレスを最小限に抑えられます。施工現場では、大阪の軟弱地盤と強い地下水圧に耐えうるため、厚さ約1メートルの連続地中壁と、建物の浮き上がりを防ぐアースアンカー工法が惜しみなく投入されました。地上部の軽やかな造形と地下の強靭な土木技術の融合こそが、この建築の知られざる真相です。
もともと本館は、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の際に建設された万国博美術館(川崎清設計)の建物を活用し、1977年に吹田市の万博記念公園内で開館しました。しかし建物の老朽化と都心部からのアクセスの悪さが長年の課題となり、文化情報の発信地である中之島西部への移転構想が本格化。2004年11月に現在の完全地下型美術館としてリニューアルオープンを果たし、現在に至るまで大阪都市文化の中核を担っています。