「江戸城の無血開城は一体なぜ成し遂げられたのか?」という最大の疑問に対する答えは、勝海舟と西郷隆盛が共有していた「日本が内戦で疲弊すれば欧米列強の餌食になる」という強烈な危機意識にあります。しかし、会談の現場は終始友好的だったわけではなく、極限の緊張感の中で冷徹な駆け引きが繰り広げられました。
勝海舟は、徳川慶喜の助命と徳川家の存続を絶対条件として提示しました。これに対し新政府軍内部では「慶喜の首を討ち取らねば幕府の残党は屈服しない」とする強硬論が根強く存在していました。勝はその強硬派を抑え込むため、西郷に対して「もし交渉が決裂すれば、江戸の町を焼き払い、ゲリラ戦を展開して徹底抗戦する」という覚悟を行動で示します。
西郷隆盛は、勝の提示した徳川慶喜の恭順状と寛永寺での謹慎の事実、そして何より勝という男の覚悟を見極め、「慶喜公の命を助け、徳川家の家名存続を認める」という重大な決断を下しました。西郷は京都の新政府上層部を自らの命を担保にして説得する道を選び、ここに総攻撃の中止が確定したのです。