安倍晋三の学歴と留学の真相|成蹊小中高大から神戸製鋼までの歩み

安倍晋三の学歴と留学の真相|成蹊小中高大から神戸製鋼までの歩み

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安倍氏の生い立ちを語る上で欠かせないのが、学校法人成蹊学園での16年間に及ぶ一貫教育です。三菱財閥の支援を受けて創設された成蹊学園は、創立者・中村春二の「個性の尊重」「品性の陶冶」「勤労の実践」を三綱領に掲げ、詰め込み教育を排した全人教育で知られています。

成蹊小学校時代の安倍氏は、目立つ存在というよりも、おっとりとした気配りの利く少年だったと当時の恩師や同級生が回想録で語っています。父・晋太郎氏が多忙を極め、政治の第一線で飛び回っていたため、幼少期のしつけや教育は母・洋子氏(岸信介元首相の長女)と家庭教師が中心となって見守っていました。小学校時代から箱根での夏期寮生活や自然観察など、成蹊独特のプログラムを通じて協調性を培いました。

難関とされる成蹊高等学校に進学してからは、勉強一辺倒ではなくスポーツや友人関係に重きを置くようになります。成蹊高校の偏差値は現在でも68〜70程度を誇る難関校であり、内部進学とはいえ一定水準以上の学力維持が求められる環境でした。同校教諭の回想によると、特定の科目を極端に尖らせるタイプではなく、社会科学や地理歴史への関心が際立っていたと記録されています。

そして1973年、成蹊大学法学部政治学科へ進学。この大学時代こそが、後のリーダーシップスタイルの原型を形作りました。自著『美しい国へ』や関係者の証言集によれば、安倍氏は大学時代に有志と共にアーチェリー部を創設し、自ら第5代主将を務めました。関東学生アーチェリー連盟のリーグ戦において、チームを上位リーグへと昇格させるために部員をまとめ上げ、練習環境の整備や合宿の運営に奔走。当時の部員は「お坊ちゃん特有の偉ぶった態度が一切なく、後輩の面倒見が極めて良い兄貴分だった」と一致して証言しています。

大学の講義においては、政治思想や比較政治学のゼミに所属。ゼミの指導教授であった佐藤竺(さとう・あつし)名誉教授(行政学)らのもとで地方自治や政治制度の基礎理論を学び、学問的な論理構成力を身につけていきました。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。