宮沢りえという表現者の歩みは、そのまま日本エンターテインメント界の劇的なクロニクルでもあります。若干11歳でモデルデビューし、1987年に「三井のリハウス」初代リハウスガール(当時14歳)に抜擢されたことで爆発的なブレイクを果たしました。翌1988年公開の映画『ぼくらの七日間戦争』では当時15歳で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、一躍トップアイドルの座へと上り詰めます。
社会的な狂乱とも呼べる頂点を迎えたのが、1991年11月に発売された写真集『Santa Fe(サンタフェ)』でした。写真家・篠山紀信氏が撮影したこの作品が世に出た当時の年齢は18歳。発行部数150万部を超える空前絶後のメガヒットを記録し、当時の日本社会に凄まじい衝撃を与えました。
しかし、その華々しい栄光の裏で、彼女は過酷な運命の荒波に呑まれていきます。当時19歳で発表した大相撲・貴花田(現・貴乃花)との婚約と、直後の電撃破談。さらに母・光子さんとの確執や芸能活動の重圧による激やせ報道、自死未遂疑惑、芸能活動の休止と渡米。世間からの容赦ない好奇の目に晒され、一時は表舞台からの完全引退すら囁かれました。
その彼女が「本格派女優」として劇的な奇跡の復活を遂げた契機が、故・蜷川幸雄氏や野田秀樹氏ら演劇界の巨匠たちとの出会いです。20代後半から30代にかけて舞台の過酷な稽古場で徹底的に鍛え上げられ、2002年の映画『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督)で各映画賞の主演女優賞を総なめにしました。さらに『紙の月』(2014年)、『湯を沸かすほどの熱い愛』(2016年)と、年齢を重ねるごとに凄みを増す演技力で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を3度にわたり受賞する快挙を成し遂げています。