彼がこれほどまでに日本語や日本社会へ執着した背景には、少年時代に体験した鮮烈なカルチャーショックが存在します。シカゴで育った彼は、テレビ放映されていた日本の特撮番組『マグマ大使』(米国タイトル:The Space Giants)や『鉄腕アトム』などに心を奪われました。
当時のアメリカの少年向け番組とは一線を画す、精緻なプロットや哀愁漂うドラマ性に衝撃を受けた彼は、「この作品を作った国は一体どんな言語を話し、どんな文化を持っているのか」と激しい探求心を抱きます。10代前半にして、近隣の日系人コミュニティに自らアプローチし、シカゴの日本語学校へ通い始めました。家庭に日本語話者がいたわけでもなく、学校のカリキュラムにあったわけでもない環境下で、独学に近い形で辞書をボロボロになるまで引き続けた執念は常軌を逸しています。
子役として米国のショービジネスを経験していた彼は、高校もシカゴ屈指の学力選抜校であるレーン・テクニカル高校で学び、論理的思考と工学的な分析力を磨いていました。「好きなものに対して手段を選ばず没入し、構造を解き明かす」という秀才特有のオタク的集中力が、彼を上智大学への留学、そしてその後のメディアプロデューサー人生へと導いたといえます。