北海道室蘭市出身の北天佑は、三保ヶ関部屋に入門後、怪力と鋭い出足を武器に昭和58年(1983年)5月場所後に大関へ昇進。昭和の大横綱・千代の富士の最大のライバルとして名勝負を繰り広げ、幕内最高優勝を2回果たすなど一時代を築きました。平成2年(1990年)の引退後は年寄・二十山を襲名し、平成7年に分家独立して二十山部屋を創設。将来の日本相撲協会幹部候補として嘱望されていました。
しかし、運命は突如として過酷な試練をもたらします。2006年3月、激しい頭痛と体調不良を訴えて緊急入院。精密検査の結果、悪性脳腫瘍および腎臓がんが判明しました。病状はすでに極めて深刻な状態に進行していましたが、栄美さんは病床の親方に寄り添い、懸命の看病を続けました。関係者の手記によると、親方は意識が混濁する中でも「部屋の弟子たちの稽古はどうなっているか」と気にかけていたといいます。
闘病の甲斐なく、2006年6月23日、北天佑は45歳という若さで逝去。師匠の急逝により、二十山部屋は所属力士の受け入れ先を巡って協議が行われ、最終的に部屋は閉鎖(師匠代行を経て出羽海部屋へ合流)という苦渋の決断が下されました。大黒柱を失った栄美さんと、まだ10代だった2人の娘たちにとって、あまりにも早すぎる別れと激動の幕開けでした。