軍神として凄惨な現場を駆け抜けた田村麻呂だが、彼の人生のもう一つの柱が深い仏教信仰、とりわけ観音菩薩への傾倒である。京都のシンボルである音羽山清水寺は、彼が妻の病気平癒や戦没者の菩提を弔うために本堂を建立したことに始まると伝えられている。
武力が猛威を振るった時代において、戦うことの業(ごう)と罪悪感を誰よりも深く自覚していたからこそ、彼は信仰に救いを求め、精神的な基盤の形成に尽力した。自らの手に血を塗る立場でありながら、戦った敵味方双方の霊を慰めようとした姿勢は、後世の武士道精神の源流とも評価されている。