インターネット上の掲示板やSNSでは、時折ハチ公に対して冷笑的な言説が見受けられます。「忠犬というのは戦前の軍国主義が作ったプロパガンダだ」「本当は駅前屋台の焼き鳥目当てで通っていただけ」といった極端な言説です。しかし、当時の一次資料を丹念に洗い直すと、こうした冷笑論もまた一面的な歪みを含んでいることが分かります。
確かに、駅前の焼き鳥屋の店主たちが余った肉や骨を与えていたのは事実です。しかし、動物行動学の知見に照らせば、単に餌を貰うだけならば、より安全で虐待のリスクがない近隣の民家や市場に定着するのが自然です。ハチはわざわざ自らに危害を加える通行人が行き交う渋谷駅の改札前を選び、博士が通勤で利用していた夕方の時間帯に正確に現れていました。餌は過酷な路上生活を生き抜くための副産物に過ぎず、ハチを突き動かしていた第一の動機が「上野博士への愛着」であったことは疑いようがありません。
【プロの結論】動物愛着理論とメディア言説が作り出した「忠犬神話」の光と影
社会学および心理学の視点からハチ公現象を総括すると、ここには人間側の都合による「美談の消費」と「動物の純粋な愛着」の二重構造が見て取れます。精神分析学者ジョン・ボウルビィが提唱した「アタッチメント理論(愛着理論)」を当てはめると、ハチにとって上野博士は絶対的な安全基地(セキュア・ベース)でした。博士の突然の消失によって未解決の愛着欲求を抱えたハチは、博士と最後に別れた「渋谷駅」という空間に執着し続けたと心理学的に解釈できます。
一方で、当時の社会はこの純粋な動物の行動を「国家や君主に対する忠誠心・滅私奉公」の象徴へとすり替え、教科書に掲載して道徳教育の道具として利用しました。この政治利用の反動が、戦後の「焼き鳥説」のような極端な冷笑を生み出す土壌となったのです。
現代の私たちがハチ公像から学ぶべき真の教訓は、無条件の従属を賛美することではありません。言葉を持たない動物が人間に対して注いでくれる無償の愛情の重みを受け止め、動物福祉(アニマルウェルフェア)の向上へと還元していくことこそが、現代人に課せられた責任です。