市川宗家の宗主として十三代目 市川團十郎 白猿を襲名した瞬間から、背負わされる十字架の重みは劇的に変化した。成田屋の象徴である「荒事」の精神は、ただ豪快に見栄を切れば成立するものではない。歴代の先人たちが命を削って磨き上げてきた様式美を体現しつつ、同時代を生きる観客の魂を揺さぶる現代性を吹き込まなければ、古典はただの陳列された標本になってしまう。
「白猿」の二文字に込められたのは、祖父や父といった偉大な先達の域にはまだ達していないという謙虚さと、未完成であるがゆえにどこまでも変化できるという決意に他ならない。海老蔵時代に見せた破天荒なエネルギーは、團十郎という器を得たことで、深く静かな狂気と圧倒的な包容力へと純化されつつある。古典を墨守するのではなく、古典をもって現代を撃つ。その気迫が、日々の舞台の一挙手一投足に宿っている。