今でこそ日本を代表する名優として知られる國村隼ですが、若い頃のキャリアは演劇のエリートコースとは大きく異なります。高校卒業後は大阪工業技術専門学校で自動車工学を学び、もともとはエンジニアや機械整備士を目指していました。
しかし、「何か違うことをやってみたい」という好奇心から1970年代半ばに大阪放送劇団付属研究所の門を叩き、劇団そとばこまちの舞台活動などに参加しながら演技の基礎を叩き込みます。下積み時代は舞台を中心に活動し、映像の世界へ本格的に足を踏み入れたのは30歳を過ぎてからでした。
転機となったのは、1989年に公開されたリドリー・スコット監督のハリウッド映画『ブラック・レイン』です。大阪ロケが行われた本作でヤクザの手下役に抜擢された國村隼は、名匠リドリー・スコットや主演のマイケル・ダグラス、松田優作といったトップスターたちと現場を共にし、映画作りのダイナミズムを肌で体感しました。この経験が、後の海外志向や映画へのストイックな姿勢を決定づける原点となったと、当時のインタビューや自著の回想でも明かされています。