金子みすゞの人生は、輝かしい才能とは裏腹に、波乱と悲劇に満ちたものだった。大正時代、山口県仙崎(現在の長門市)で育った彼女は、本屋で働きながら詩を投稿し、西條八十らから「若き童謡詩人の巨星」と絶賛された。しかし、私生活では病弱な体と不遇な結婚生活、そして愛娘の養育権を巡る葛藤に直面し、昭和5年(1930年)に自ら命を絶つことになる。
彼女の作品は長年忘れ去られていたが、その才能を信じて500篇以上の詩が綴られた遺稿集を探し続けた人物がいた。児童文学者の矢崎節夫である。彼の長年にわたる地道な調査によってみすゞの詩群が蘇り、現代の出版・メディア産業を通じて広く知られることとなった。一人の研究者の執念がなければ、私たちはこの美しい詩に出会うことすらできなかったのだ。