山頂に県境が存在しない最大の理由は、八合目以上の土地所有権を巡る壮絶な歴史と、境界画定をめぐる両県の繊細な関係性にあります。
富士山頂の領有権を語る上で欠かせないのが、富士宮市に本宮を構える「富士山本宮浅間大社」の存在です。江戸幕府を開いた徳川家康は、関ヶ原の戦いの勝利に対する御礼として本殿などを造営したのち、慶長11年(1606年)に富士山八合目以上の支配権を同社へ寄進しました。江戸幕府も幕末までこの権利を公認し、八合目以上は一貫して浅間大社の散開境内地として扱われてきました。
転機が訪れたのは明治維新です。明治元年の神仏分離と明治4年(1871年)の上知令(じょうちれい)により、八合目以上の境内地は国によって強制的に国有地へと編入されました。第二次世界大戦後、宗教法人令の施行に伴い全国の社寺に旧境内地が返還される中、富士山頂に関しては「国の象徴的景勝地である」という理由から大蔵省(現・財務省)が返還を拒絶し続けました。
これに対し、浅間大社側は1957年(昭和32年)に国を相手取った土地所有権確認請求訴訟を名古屋地裁へ提起。裁判は泥沼化し、実に17年もの歳月を要しました。1974年(昭和49年)、最高裁判所は国側の上告を棄却し、「八合目以上の土地は浅間大社の境内地である」とする同社の勝訴判決を確定させました。
しかし、判決が出た後も実際の登記手続きは30年間も凍結されました。その原因こそが「静岡県と山梨県のどちらの土地として登記するか」という県境問題でした。法務局に登記する際、不動産の所在地を特定しなければならないという壁にぶち当たったのです。
最終的に2004年(平成16年)、境界未定のまま国から浅間大社へ約385万平方メートル(東京ドーム約82個分)の土地譲与通知書が交付され、所有権の引き渡しが完了しました。現在も山頂火口や登山道、気象庁の富士山特別地域気象観測所跡地などの一部公有地を除き、八合目以上の大部分は富士山本宮浅間大社奥宮の私有地となっています。