二世タレントという言葉に付きまとう「甘やかし」のイメージ。船越英一郎はそのレッテルを誰よりも嫌った。日本大学芸術学部映画学科で演出や映画制作の基礎を学んだ彼は、父の威光を頼るのではなく、自らの力で役者としての道を切り拓くことを決意する。大手プロダクションであるホリプロに所属したものの、当初は決して順風満帆なスタートではなかった。
オーディションに落ち続け、端役しか巡ってこない日々が続いた。「大スターの息子」という偏見の目で見られることも少なくなく、実力で評価されたいと願う彼にとっては葛藤の連続だったという。だが、彼は愚痴をこぼさず、劇団を立ち上げて舞台演出に没頭するなど、泥臭い努力を積み重ねた。役作りのために徹底的に人間を観察し、セリフひとつに魂を込める現場主義の姿勢こそが、後のブレイクを呼び寄せる原動力となったのだ。