改革を主導した中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)のコンビは、単なる理想主義者ではなかった。彼らが目指したのは、血縁による合議制を解体し、君主に絶対的な権力を集中させるトップダウン型の官僚国家である。
中大兄皇子は自らが即位するまでの間、皇太子として権力を掌握し、時には身内や協力者であっても改革の障害となれば容赦なく粛清した。一方、知恵袋として暗躍した中臣鎌足は、大陸から持ち帰られた最新の政治思想(儒教や法家思想)を咀嚼し、実務的な法制度へと落とし込んでいった。鎌足が臨終の際に賜った「藤原」の姓は、のちに平安貴族として栄華を極める藤原氏の礎となり、日本の支配者層の血統をも決定づけることになる。