華やかな流行の一方で、江戸の衣服文化を物理的に支えていた屋台骨が、徹底した資源循環システムでした。当時、反物から着物を新調できるのは一部の富裕層に限られており、一般庶民の日常着の調達は江戸時代の古着屋とリサイクル事情に完全に依存していました。
神田富沢町や柳原土手(現在の秋葉原・浅草橋周辺)には数千軒に及ぶ古着屋が立ち並び、巨大なマーケットを形成していました。当時の衣服は直線裁ちで作られているため、体型が変わっても仕立て直しが容易であり、以下のように寿命を全うするまで使い倒されました:
- 上層の武士や豪商が新品として小袖を誂える
- 数年後に古着屋へ売却され、中流町人の晴れ着として再流通する
- 擦り切れて色褪せると、庶民の普段着や作業着へと仕立て直される
- さらに生地が弱ると、子供服やおむつ、布団の側生地へと解体される
- 最終的には雑巾や鍋つかみ、火口(ほくち)として燃やされ、その灰は「灰買い」によって肥料や洗剤原料として買い取られる
布地の一片すら捨てないこの徹底した循環構造は、環境負荷を最小限に抑えながら豊かな衣生活を維持する、江戸の高度な都市インフラの結晶でした。