トラピスト大修道院の真実|トラピスチヌとの違いと女人禁制の噂を追う

トラピスト大修道院の真実|トラピスチヌとの違いと女人禁制の噂を追う

トラピスト大修道院の真実|トラピスチヌとの違いと女人禁制の噂を追うの基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。

トラピスト大修道院がこの北斗市三ツ石(旧・上磯町)の原野に根を下ろしたのは、1896年(明治29年)10月のことです。フランスのノルマンディー地方にある修道院から派遣された数名のフランス人修道士たちが、当時まだ手つかずの笹薮と岩に覆われていた荒野を開拓したことからすべてが始まりました。

来日した修道士たちを迎えたのは、想像を絶する北海道の厳冬と貧困でした。しかし、彼らは「労働は祈りである」というシトー会の理念に忠実であり続けました。ツルハシと鋤を手に原野を拓き、レンガを一つひとつ焼き上げて修道院の礎を築いたのです。1903年にはフランスからホルスタイン種などの乳牛を導入し、日本で最初期となる近代酪農を開始。1908年頃には本格的な発酵バターの生産をスタートさせ、日本の乳加工産業の礎を築く先覚的役割を果たしました。

明治・大正・昭和の激動期、修道院は幾度もの火災や戦時中の混乱に見舞われました。第二次世界大戦中には外国人修道士に対する厳しい監視の目が向けられるなど苦難の歴史を辿りましたが、修道士たちは津軽海峡を見下ろす丘の上で沈黙と祈りを守り抜きました。

近代日本の文学史にもその名は刻まれています。詩人・三木露風は1920年から数年間、このトラピスト修道院で文学の講師として滞在しました。彼がこの静謐な修道院で過ごす中で生み出した作品群は数多く、名曲『赤とんぼ』の着想の一部もこの道南の豊かな自然環境の中で育まれたと伝えられています。修道院の歴史は、単なる宗教施設にとどまらず、北海道開拓史と日本近代文化が交差する貴重な証言そのものです。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。