支倉常長が背負った悲劇の真相と奇跡|ローマ教皇謁見からハポン姓まで

支倉常長が背負った悲劇の真相と奇跡|ローマ教皇謁見からハポン姓まで

支倉常長が背負った悲劇の真相と奇跡|ローマ教皇謁見からハポン姓までの概要と注目ポイントをわかりやすく整理しました。

1613年10月、現在の宮城県石巻市雄勝町で切り出された木材を用い、仙台藩が総力を挙げて建造したガレオン船サン・ファン・バウティスタ号(約500トン)が月浦を出港しました。日本人水夫や武士、商人、宣教師ら約180名を乗せた船は、荒れ狂う太平洋を横断し、約3カ月をかけてメキシコのアカプルコへ到着。そこから陸路で大西洋側へ抜け、別の船に乗り換えてヨーロッパ大陸を目指すという前代未聞の行程でした。

1615年1月、常長一行はスペインの首都マドリードで国王フェリペ3世に謁見。ここで常長は自らキリスト教の洗礼を受け、洗礼名「ドン・フェリペ・フランシスコ」を授かります。これは単なる信仰心の発露にとどまらず、カトリック宗主国との同盟を確実にするための外交的決断でもありました。そして同年11月、一行はついにバチカン宮殿において、ローマ教皇謁見の真相として知られる教皇パウロ5世との歴史的対面を果たします。

常長は伊達政宗の親書を手渡し、仙台領内への宣教師派遣と貿易通商の後援を熱烈に訴えました。ローマ市民は異国の東洋から訪れた気品ある武士たちに熱狂し、常長にはローマ市公民権(名誉市民権)が授与されるなど、使節団はヨーロッパ中で大センセーションを巻き起こしました。このとき現地で描かれたとされるのが、現在仙台市博物館に収蔵され、ユネスコ「世界の記憶」および国宝に指定されている支倉常長肖像画(国宝)です。胸元で十字架を握り締め、静かに神へ祈りを捧げるその表情には、異郷で重責を背負い続けた武士の張り詰めた気迫と孤独が色濃く刻まれています。

しかし、この華々しい歓迎の陰で、教皇庁とスペイン宮廷は冷ややかな計算を働かせていました。すでにヨーロッパ側には、日本国内で徳川家康によるキリシタン弾圧が始まっているという不穏な情報が届いており、政宗の親書が幕府全体の意向を代表していない事実が見抜かれていたのです。熱烈な儀礼的歓待とは裏腹に、実利を伴う通商条約の締結はことごとく先送りにされました。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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