オードリー・ヘップバーンの私生活を振り返る上で欠かせないのが、対照的な2人の夫との結婚生活と、その破綻の裏にあった生々しい人間ドラマです。
1人目の夫:メル・ファーラーとの光と影(1954年〜1968年)
映画『ローマの休日』で一躍世界の大スターとなった翌年の1954年、オードリーは12歳年上の舞台俳優・映画監督であるメル・ファーラーとスイスで最初の結婚をしました。ブロードウェイ舞台『オンディーヌ』での共演をきっかけに急接近した2人でしたが、結婚生活は当初から「格差」という重圧に晒されます。
圧倒的なスターダムを駆け上がるオードリーに対し、メルはキャリア面で焦燥感を募らせ、次第に彼女の出演作や取材、スケジュールに至るまでを厳格に支配するようになりました。関係者の証言によると、オードリーは夫の自尊心を保つために必死で従順な妻を演じ続けましたが、度重なる流産による心身の疲弊と、メルの過干渉によるプレッシャーが決定打となり、長男ショーン・ファーラーをもうけたものの、約14年間の結婚生活に終止符が打たれました。
2人目の夫:アンドレア・ドッティとの情熱と裏切り(1969年〜1982年)
傷心のオードリーがギリシャ旅行のクルーズ船上で出会ったのが、9歳年下のイタリア人精神科医アンドレア・ドッティでした。1969年に再婚した際、オードリーは女優業を一時完全休業し、ローマで平凡な家庭の主婦として生きる道を選びます。翌年には次男ルカ・ドッティを出産し、念願だった穏やかな暮らしを手に入れたかに見えました。
しかし、イタリアの社交界で夜ごと遊び歩くドッティの女性問題が浮上します。パパラッチによって夫の不貞現場が幾度となくタブロイド紙にスクープされ、家庭を守るために耐え忍んでいたオードリーの尊厳は限界に達しました。子供が一定の年齢に達するまで耐え続けた末、1982年に正式な離婚が成立しました。