一般に「千疋屋」と一括りにされがちですが、実情は「千疋屋総本店」「銀座千疋屋」「京橋千疋屋」の3社は資本関係も経営母体も完全に異なる独立した別法人です。この事実を知らずに、他社のギフトカードやポイントカードを提示して戸惑う利用客が後を絶ちません。この分立の背景には、明治期に始まった日本の近代化と暖簾分けの伝統があります。
祖となったのは、1834年(天保5年)に武蔵国千疋村(現在の埼玉県越谷市)の侍であった大島弁蔵が日本橋人形町に開いた果物店「千疋屋総本店」です。その後、三代目・大島代次郎の妹である谷治マツが、1881年(明治14年)に暖簾分けを許されて創業したのが現在の京橋千疋屋です。さらに1894年(明治27年)には番頭の斎藤義政が暖簾分けを受け、銀座千疋屋が誕生しました。
暖簾分け以降、各社は独自の経営理念のもとで異なる進化を遂げました。総本店は「宮内省御用達」の看板を背負いながら世界の果実を網羅する重厚な本家としてのポジションを確立。銀座千疋屋は1913年に日本初のフルーツパーラーを開業し、フルーツポンチを考案するなど洋菓子開発に舵を切りました。そして京橋千疋屋は、当時まだ栽培が難しかった静岡県産マスクメロンの目利きと選別技術を極限まで高め、1930年代には自社単独で宮内省御用達の栄誉を拝命。パーラー事業や生洋菓子の量産化にもいち早く乗り出しました。
現在でも3社は定例で親睦会を開く良好な関係を保ちつつも、仕入れルート、商品開発、店舗運営は完全に独立しています。京橋千疋屋の強みは、果実専門バイヤーが毎朝大田市場で競り落とす圧倒的な鮮度管理と、それを惜しみなく投入したパーラーメニューのコストパフォーマンスにあります。