1996年シーズン終了後、ファンに衝撃を与えたのが中日ドラゴンズからの退団とNPB引退の一報でした。当時、郭源治氏は40歳を迎えていましたが、直近のシーズンでも先発ローテーションの一角として安定した投球を披露しており、まだまだ一軍で通用する球威を保っていました。
電撃的な退団を決意した背景には、「球団の世代交代を阻みたくない」という誇り高き美学がありました。若手投手が台頭する中で自らが枠を占め続けることへの葛藤に加え、星野監督に対する深い恩義と敬意があったからこそ、自ら身を引く決断を下したと語られています。
さらに、引退後はすぐにユニフォームを脱いだわけではありません。発展途上にあった母国のプロ野球(台湾プロ野球・統一ライオンズ、和信ホエールズ)へ復帰し、台湾の地で投げ続ける道を選びました。1999年のシドニー五輪アジア予選では台湾代表のエースとして日本打線を抑え込むなど、40代を超えてもなお国境を越えた闘将ぶりを見せつけ、有終の美を飾ったのです。