昭和のポルノ文化と熱狂の真相|映画黄金期から規制裁判の裏側まで

昭和のポルノ文化と熱狂の真相|映画黄金期から規制裁判の裏側まで

昭和のポルノ文化と熱狂の真相|映画黄金期から規制裁判の裏側までに関する専門家の意見を詳しく解説いたします。

昭和のポルノカルチャーの拡大は、国家権力による表現規制との熾烈な闘争の歴史でもありました。刑法175条(わいせつ物頒布等の罪)を巡る法廷闘争は、戦後の日本社会における「わいせつと芸術の境界線」を揺るがす一大論争へと発展しました。

その象徴的な事例が、1972年に警視庁が日活ロマンポルノの製作・配給関係者および映画倫理管理委員会(映倫)の関係者を書類送検・起訴した「日活ロマンポルノ事件(日活ポルノ裁判)」です。映倫の自主審査を通過して劇場公開された商業映画に対し、警察権力が介入して製作陣を刑事告発したこの事件は、映画界のみならず言論界に巨大な衝撃を与えました。

およそ8年に及ぶ法廷闘争の末、1980年に東京地裁は「映画全体として性欲を異常に刺激するものとは認められない」として被告人全員に無罪判決を下しました。この勝訴は、映画における表現の自由と自主規制の尊重を勝ち取った歴史的転換点として、法学および映画史に深く刻まれています。

一方で、出版界を揺るがしたのが、永井荷風の作とされる戯作を掲載した月刊誌『面白半分』の編集長・野坂昭如らが起訴された「四畳半襖の下張裁判」(1972年摘発)です。丸谷才一や開高健ら文壇の著名人が証人として出廷し、文学的価値とわいせつ性の関係について熱弁を振るいましたが、1980年の最高裁判所判決において有罪(罰金刑)が確定しました。司法は「文学的・芸術的価値があるとしても、わいせつ性が直ちに否定されるわけではない」という判断を示し、印刷媒体に対する厳しい規制基準を固定化させました。

さらに1970年代後半から1980年代にかけては、郊外の幹線道路沿いや空き地に設置された「昭和のエロ本自販機」が急速に普及しました。対面販売を介さず24時間購入できる利便性から最盛期には全国で数万台規模に達したと推計されますが、PTAや地方自治体による「有害環境の浄化運動」が激化。全国の自治体で青少年保護育成条例の改正が進み、自販機の設置届出制や全面撤去、目隠し板の義務化などが行われた結果、1990年代以降は街頭からほぼ完全に姿を消すこととなりました。

山田 真由
著者

山田 真由

暮らしを豊かにする便利アイテムや時短アイデアを中心に、実用的な情報をお届けします。