物語のクライマックスにおいて、読者が最も息を呑むのが「清水の舞台からのダイブ」です。ことわざ「清水の舞台から飛び降りる」の語源を想起させるこの行動ですが、忠明が飛び降りた動機は信仰心や度胸試しではなく、生き延びるための極めて合理的な脱出手段でした。
当時の清水寺の本堂・舞台周辺は参詣者で賑わう一方、私怨による暴力沙汰も日常茶飯事でした。若い頃の忠明はある日、かねてから遺恨のあった京童部(きょうわらんべ=都の不良集団・血気盛んな若者たち)と鉢合わせてしまいます。敵は数名で刀を抜いて襲いかかり、丸腰に近い忠明を清水の舞台の縁へと追い詰めました。舞台の後方は絶壁、前方には白刃をきらめかせる追手という、文字通りの絶体絶命です。
この極限状態にあって、忠明が取った行動は常人の発想を遥かに超えていました。本堂の格子戸である「蔀(しとみ)」を左右の手で二枚引き外し、それぞれの脇の下に挟み込みます。そして躊躇することなく、はるか下方の谷底(錦雲渓)へと身を躍らせたのです。蔀が風をはらんで空気抵抗を生み、現代でいうムササビスーツやパラシュートのような緩衝効果を果たしました。忠明は谷底の木々をかすめながら見事に軟着陸し、呆然と見下ろす追手たちを尻目にそのまま駆け去りました。刀を交えず機転ひとつで敵を完全に出し抜いたこの瞬間こそ、本説話の白眉といえます。