1992年に刊行された東野圭吾の原作小説と、2024年に公開された映画版(飯塚健監督)の間には、現代的なアップデートに伴う重要な改変が存在します。
最も大きな違いは、久我和幸(重岡大毅)の人物造形とラストシーンの情緒的アプローチです。原作小説における久我は、やや理屈っぽく冷徹なまでに観察眼を利かせる典型的な「安楽椅子探偵」寄りの青年として描かれます。一方、映画版の久我は、劇団への劣等感や役者としての純粋な情熱を抱え、泥臭く他者と向き合う人間味あふれる主人公へと昇華されています。
さらに、映画版では被害者役たちの心理描写がより濃密に映像化されています。笠原や雨宮が雅美に対して犯した過去の過ち――才能への嫉妬から生まれた卑劣な足の引っ張り合いに対する「自責の念」が、カットバックや緊迫した表情のクローズアップによって鮮明に描かれました。ラストで雅美と対面した劇団員たちが、単なる恐怖ではなく「自分たちの醜さへの恥辱と謝罪」を涙ながらに露わにするシーンは、映画版ならではのドラマ的カタルシスを生み出しています。