2012年、彼は慣れ親しんだ亀治郎の名を改め、四代目市川猿之助を襲名しました。この襲名には、澤瀉屋という名門が抱えていた特殊な歴史と、血筋をめぐる深い葛藤が背景に横たわっています。
澤瀉屋の看板を巨大なものへと押し上げたのは、伯父である三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁)でした。三代目は「スーパー歌舞伎」をはじめとする革新的な舞台で一世を風靡したものの、伝統的な松竹本流の歌舞伎界とは時に摩擦を生み、一門は独自の路線を突き進むことになります。しかし、三代目が脳梗塞で倒れて以降、一門を誰が束ねていくのかが喫緊の課題となっていました。
父である四代目市川段四郎を支えながら、伯父が作り上げた膨大な財産(レパートリーと劇団員)を守り抜く責任を一手に引き受けたのが彼でした。「澤瀉屋の火を消してはならない」という強烈な使命感が、四代目猿之助襲名への決断を後押しした最大の理由です。
同時にこの襲名劇では、伯父・猿翁の実子でありながら長年絶縁状態にあった香川照之(市川中車)の歌舞伎界入りという歴史的融和も実現しました。従兄弟同士である二人は、断絶していた血脈を繋ぎ直し、澤瀉屋の未来を次世代へ引き継ぐという重責を分かち合うことになったのです。しかし、血縁と伝統の重圧、そして一門の生活を支えなければならないという責任は、徐々に一人の表現者の許容量を超えていきました。