なぜここまで徹底して事実確認が取れないにもかかわらず、竹内まりやの娘の噂の真相をめぐる検索が途切れないのでしょうか。その背景には、情報化社会特有の「空白を埋めようとする人間の認知バイアス」が存在します。
日本国内における著名人の子どもといえば、親の知名度を利用してSNSのインフルエンサーになったり、バラエティ番組で「二世タレント」としてデビューしたりする事例が枚挙にいとまがありません。メディア側もそうしたコンテンツを安易に消費し、大衆もまた「親の威光を傘に着た生き方」に批判の目を向けつつも興味を惹かれます。
しかし、山下夫妻の一人娘はそうした商業主義的な芸能サイクルに一切登場しませんでした。この「あまりの情報の無さ」が、まとめサイトや掲示板ユーザーの過剰な想像力を刺激し、「姿を現さないのは何か言えない理由があるのではないか」という歪んだ論理へと飛躍。結果として、病気説やトラブル説といった悪質なデマが自動生成されてしまったのです。
山下達郎は自身のラジオ『サンデー・ソングブック』において、音楽職人としての矜持を語る際、「プライベートを切り売りして関心を引くような真似は絶対にしない」という哲学を繰り返し表明しています。娘の存在を徹底して秘匿してきたのは、何か不都合な事実があったからではなく、「一人の人間として健全に、自由に自分の人生を選び取らせるための最大の親心」だったという事実を見落としてはなりません。