通算533犠打の世界記録を持ち、「バントの神様」と称された川相昌弘氏は、かつて筆者の取材に対してセーフティバントの神髄をこう語っていた。「バントは決して逃げの策ではない。相手の守備配置、投手の癖、マウンドの傾斜、風向き、そして何より内野手の足の動きを一瞬で見極めて仕掛ける、最も攻撃的なカードだ」。
川相氏によれば、成功の鍵は構えるタイミングの遅さにあるという。投手がリリースするギリギリまでバットを引きつけ、ボールの勢いを完全に殺すソフトなタッチ。この職人技とも言える技術は、単に出塁するためだけの道具にとどまらない。相手内野陣に「いつ仕掛けてくるかわからない」という脅威を植え付けることで、定位置よりも一歩前への前進守備を強いる。結果として三遊間や一二塁間のヒットゾーンが広がり、チーム全体の打率向上という副産物まで生み出すのだ。