会津藩最後の藩主・松平容保が京都守護職という火中の栗を拾う決断を下した背景には、藩校が培った徹底したエリート教育と義の精神があった。日新館のカリキュラムは儒学や国学にとどまらず、天文学、医学、礼法、さらには兵学に至るまで極めて多岐にわたる。
身分制度が色濃い江戸時代にあって、実力主義的な昇進制度を取り入れていた点も特筆すべき特徴だ。藩士の子弟は徹底的に鍛え上げられ、個人の才覚と公への奉仕が両立するよう設計されていた。松平容保を支えた重臣たちもまた、この厳格にして合理的な教育機関から巣立った精鋭たちであり、彼らの揺るぎない覚悟は日新館の教えそのものだった。