長崎原爆の日の真実|小倉変更の理由と11時2分に込めた平和の祈り

長崎原爆の日の真実|小倉変更の理由と11時2分に込めた平和の祈り

長崎原爆の日の真実|小倉変更の理由と11時2分に込めた平和の祈りに関する専門家の意見を丁寧に解説いたします。

広島と長崎の被爆は、同じ「原子爆弾投下」という惨劇でありながら、使用された核兵器の構造、核分裂物質、爆発規模、そして被災都市の地理的条件において大きな違いが存在します。米軍はマンハッタン計画において開発した2種類の異なる方式を、実際に都市を標的として実証実験を行いました。

項目広島原爆(リトルボーイ)長崎原爆(ファットマン)編集部の見解・比較評価投下日時1945年8月6日 午前8時15分1945年8月9日 午前11時2分わずか3日間の間隔で実行された連続攻撃核分裂物質ウラン235(ガンバレル型)プルトニウム239(爆縮インプロージョン型)長崎型はより高度な起爆技術を要する新型破壊威力(TNT換算)約15〜16キロトン約21キロトン純粋な爆発エネルギーは長崎が広島を約3割上回る地形的要因と被害範囲平坦な三角州地形(全方位に被害が拡散)山に挟まれたすり鉢状の谷地形(浦上地区集中)長崎は金比羅山等の山林が遮蔽壁となり旧市街を守った同年末までの推計死没者約14万人(±1万人)約7万4,000人地形による遮蔽効果が死没者数の差に直結した

広島に投下されたリトルボーイは細長い砲身状の形状をしており、ウラン235の塊を火薬で衝突させる「ガンバレル(砲身)方式」を採用していました。構造が比較的単純であり、実験なしで実戦投入されました。一方、長崎のファットマンは丸みを帯びた大型爆弾で、周囲に配置された火薬を一斉に内側へ起爆させてプルトニウムを中心部で瞬間的に圧縮する「インプロージョン(爆縮)方式」が採用されていました。

破壊力そのものは長崎のファットマンの方が遥かに強大でしたが、広島が平野部であったために360度全方位へ被害が拡大したのに対し、長崎は山に囲まれた谷状の地形でした。爆心地となった浦上地区は壊滅的な被害を受けたものの、東側にそびえる金比羅山などの山々が強烈な爆風と熱線を遮断し、長崎駅周辺や中島川以東の旧市街地への直接的な壊滅被害を食い止める結果となったのです。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。