それでは、なぜこれほどまでに「不仲説」「絶縁疑惑」が頑元に囁かれ続けてきたのでしょうか。週刊誌の過去記事や当時の親族を取り巻く状況を再検証すると、3つの複合的な要因が見えてきます。
1. 高島ファミリーと弘之一家の「生活水準・メディア戦略の乖離」
忠夫さん一家は、世田谷の豪邸に暮らし、家族全員でCM出演や特番を持つ「誰もが羨むセレブ芸能人ファミリー」の代名詞でした。一方、弘之氏の一家は音楽プロデューサーとしての安定した家庭であったものの、ちさ子さんが幼少期の思い出として「うちは普通のサラリーマン家庭の感覚だった」「いとこの家はお金持ちで別世界だった」とメディアで自虐的に語ったことがあります。
このバラエティ番組におけるコミカルな「格差トーク」が、ネット掲示板や一部のゴシップ系まとめサイトによって「妬みによる不仲」「本物の確執」へと歪曲されて拡散してしまった側面は否めません。
2. 忠夫さんの長期にわたる闘病生活と外部接触の制限
高島忠夫さんは1998年、重度のうつ病を発症し、長期間の休養に入りました。その後、一度は復帰を果たしたものの、パーキンソン病を併発するなど心身ともに過酷な療養生活を余儀なくされました。
妻の寿美花代さんは、忠夫さんの心身の安定とプライバシーを守るため、外部からの訪問や過度な親族交流を厳しく制限する姿勢を取りました。これはうつ病患者を抱える家庭として医学的にも極めて妥当な「家族防衛」の判断でしたが、事情を詳しく知らない部外者やメディア関係者の目には「親族すら寄せ付けない=親族間で絶縁したのではないか」と映ってしまったのです。
3. ちさ子さん母・薫子さんの介護問題と多忙の重なり
ちさ子さん側も決して平穏だったわけではありません。ちさ子さんにはダウン症の姉・未知子さんがおり、母親の薫子さんとともに家族総出で姉を支える生活を送っていました。さらに後年、母・薫子さんが病に倒れ、2017年に他界するまで、ちさ子さんは自身のコンサートツアー、子育て、そして母親の介護に追われる日々を過ごしていました。
互いの家庭がそれぞれ「重病の家族の介護」という過酷な現実に直面していたため、物理的に頻繁な親族の行き来が途絶えていたのが実情です。これを「冷戦」や「絶縁」と解釈するのは、現場の当事者たちが背負っていた介護のリアリティを無視した浅薄な見方と言わざるを得ません。