臨江閣の歴史を紐解く上で欠かせないキーパーソンが、NHK大河ドラマの主人公の夫としても広く知られる初代群馬県令・楫取素彦です。明治維新直後、群馬県の県庁所在地を巡っては高崎と前橋の間で激しい誘致合戦が繰り広げられていました。最終的に県庁が前橋に置かれることが確定した際、楫取は近代都市としての前橋の威信を高め、来訪者を格調高くもてなす迎賓館の必要性を痛感します。
楫取は単に号令を下すだけでなく、自らも私財から拠出を行い、地元の有力実業家たちに熱心に協力を説き伏せました。こうして1884年(明治17年)、利根川の清流を眼下に望む景勝地に完成したのが臨江閣の本館と茶室です。
ここで多くの歴史ファンを惹きつけるのが、勝海舟の命名の真相です。幕末の英傑として名を馳せた勝海舟は、楫取素彦と深い親交を有していました。完成した雄大な楼閣を利根川のほとりに見立て、「利根の清流に臨む閣」という意味を込めて海舟が名付けたのが「臨江閣」の号です。本館内には、勝海舟の直筆による力強くも瀟洒な「臨江閣」の扁額(へんがく)のレプリカが掲げられており、幕末から明治の荒波を生き抜いた先人たちの息遣いを間近に感じ取ることができます。
その後、1910年(明治43年)には、前橋で開催された「一府十五県連合共進会」の貴賓館として、豪壮な別館が増築されました。明治天皇をはじめ、大正天皇(皇太子時代)、昭和天皇など歴代の皇族が巡幸の際に滞在した記録が残されており、近代日本の地方都市外交を支えた第一級の歴史的ステージとして機能し続けました。