名曲が生まれる背景には、運命的な物語が存在します。「瞳を閉じて(瞳をとじて)」という名を持つ2つの作品は、それぞれ異なる時代に、全く異なる動機から産声を上げました。
一通のラジオ投稿から生まれた荒井由実「瞳を閉じて」の感動史実
時計の針を1974年に戻すと、そこには当時20歳の若き天才・荒井由実の「瞳を閉じて」の誕生秘話があります。きっかけは、長崎県の五島列島に位置する長崎県立奈留高校(当時は奈留分校)の一女子生徒から、ニッポン放送のラジオ番組宛てに届いた一通の手紙でした。
「私たちの学校には校歌がありません。島を出ていく卒業生たちのために、心に残る愛唱歌を作ってください」――その純粋な祈りに心を動かされたユーミンは、無償でこの楽曲を書き下ろしました。歌詞には島の名前こそ登場しませんが、「遠いところへ行った友への想い」や「風の匂い」が瑞々しく描かれています。この曲は現在も同校で愛唱歌として大切に歌い継がれ、校内には記念歌碑が建立されています。
原作の息吹をそのまま受け止めた平井堅の執筆現場
それから30年後の2004年、平井堅は映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の台本を読み込み、自身の中に湧き上がる感情をメロディへと昇華させました。報道関係者の取材記録によると、彼は単なる哀傷にとどまらず、「死別の痛みを経た人間が、どうやって呼吸を続けていくのか」という極限の感情を追求したといいます。奇しくも、平井堅自身が2003年のコンセプト・ライブ『Ken's Bar』にて荒井由実の「瞳を閉じて」をカバーしていたという事実は、日本の音楽史における美しい符号といえます。