1961年の新東宝倒産後、松竹を経て菅原文太の運命を決定づけたのが、のちに東映社長となる名プロデューサー・岡田茂からの熱烈な引き抜きでした。岡田は菅原の端正な顔立ちの奥底に潜む「哀愁」「野性味」「反骨精神」を見抜き、1967年に東映へ完全移籍させます。
移籍当時の東映は、鶴田浩二や高倉健を中心とした任侠映画の全盛期でした。菅原文太は当初、脇役や敵役でじりじりと頭角を現し、深作欣二監督ら新進気鋭のクリエイターと共鳴。従来の様式美に縛られたヒーロー像を覆す、泥臭く情に厚いリアルなアウトロー像を確立していきました。遅咲きながら、30代後半にして時代が求める「新しい男の顔」へと進化を遂げたのです。