昭和から平成にかけて、宮沢光子さんのプロデュース手法は激しい賛否両論を巻き起こしました。未成年でのヌード写真集出版、大相撲の大関・貴花田(当時)との婚約および電撃破談、激やせ報道など、世間のバッシングはりえ本人だけでなく「りえママ」の強権的な姿勢にも集中しました。
ソーシャルメディアやネットコミュニティの声をつぶさに拾い上げると、一般ユーザーの視線は非常に多層的です。
「もしオランダ人の父親が日本にとどまり、普通の家庭環境で育っていたら、りえちゃんはあんなに激動の人生を送らずに済んだのではないか」という同情的な意見がある一方、「父親がいなかったからこそ、母娘が強固な運命共同体となり、日本エンタメ史に残る伝説的なスターが誕生した」という見方も根強く存在します。父親の不在は、宮沢りえというアイコンの刹那的な美しさと、どこか影のある孤高のオーラを醸し出す重要な要素でもありました。