最愛王ルイ15世はなぜ国を滅亡へ導いたか|寵姫スキャンダルと革命の真相

最愛王ルイ15世はなぜ国を滅亡へ導いたか|寵姫スキャンダルと革命の真相

最愛王ルイ15世はなぜ国を滅亡へ導いたか|寵姫スキャンダルと革命の真相の注目ポイントを詳しく解説してご紹介します。

ルイ15世の治世を語るうえで避けて通れないのが、公式の愛妾である「公妾(メートル=ザン=ティトル)」たちの存在です。当時の宮廷において、愛人は単なる私的な伴侶にとどまらず、大臣の人事や外交政策にまで絶大な影響力を及ぼす権力結節点となっていました。

ブルボン宮廷を彩った主な寵姫たちの変遷

ルイ15世の愛人遍歴は、名門貴族ネール家の四姉妹(マイイ伯爵夫人、ヴェンティミーユ侯爵夫人、シャトールー公爵夫人ら)から始まりました。しかし、王権の中枢に座り、歴史を大きく動かしたのは、ブルジョワ階級出身のポンパドール夫人と、娼婦同然の出自から宮廷の頂点に登り詰めたデュ・バリー夫人の2人です。

1745年に公式寵姫となったポンパドール夫人は、高い教養と洗練された審美眼を持ち、ヴォルテールら啓蒙思想家を庇護する一方で、国家外交にも深く関与しました。宿敵関係にあったオーストリアのハプスブルク家と手を結ぶ「外交革命」の黒幕として辣腕を振るいましたが、この外交転換が七年戦争の泥沼化とフランスの孤立を招いたとして、後世の歴史家から厳しい批判を浴びることになります。彼女自身、晩年の書簡で「私の人生は終わりのない闘争だった」と吐露しており、美貌が衰えた後も知性によって王の相談役の座を維持し続けました。

1764年にポンパドール夫人が病没すると、晩年の王の心を捉えたのがデュ・バリー夫人です。平民出身の彼女が宮廷で権勢を誇る姿は、伝統的な貴族層のプライドを著しく傷つけました。若き日の皇太子妃マリー・アントワネットが「ヴェルサイユには今日、大変な人がたくさんおりますこと」という有名な一言を放つまで、デュ・バリー夫人との口を聞くことを頑なに拒否し続けた確執劇は、宮廷内の秩序崩壊を象徴する出来事でした。

小林 直樹
著者

小林 直樹

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